今日の一枚(27年 5月)


管理人の気まぐれで追加していきます(ブログ代わりですね・・・・)。


5月31日子供の部活動送迎の合間に。旧津山扇形機関車庫の脇を通過する普通列車。来春の扇形機関庫の公開が待ち遠しいですね。



5月29日今日は岡山市へ出張の管理人。帰路、岡山から快速列車に乗ったのですが、法界院に着く直前に停車。どうしたのかと思っていると、「枕木から煙が出ており、線路確認の停車」とのこと。枕木から煙とはどういう原因だろうかと考えているうちに、10分遅れで発車。その後は何事もなく走り、津山には8分遅れで到着しました。その後、市内で少し用事を済まして駅南へ向かってみると、ちょうど乗ってきた車両がアイドリング中。ということで、一枚パチリ。それにしても、岡山快速色と呼ばれるこの塗色、めっきり少なくなりました。(津山駅構内)



5月28日来年春に岡山ディスティネーションキャンペーンが開催されるようですね。と言うことはラッピング列車とか特別仕様車が走るのが通例で、津山方面は何が走るのだろうと思っていると、先日観光列車の発表がありました(発表内容はこちら)。が、イメージ写真を見ると、何とパンタグラフがある・・・・。津山に来ないじゃないですか。それとも津山には何か秘密兵器でもあるのか、と勝手に考えてしまう管理人でした。このタラコ色では寂し過ぎますね。(坪井〜美作追分)



5月25日一昨日撮影した美作河井駅の転車台。このような山奥に転車台が残っているのは、ある意味驚きですね。普通、このような山奥にある転車台は、行き止まり路線の終着駅や、峠を越える列車の補機用ですが、この転車台は当初は因美南線の折り返し用、その後は鳥取方面から来たラッセル車の方向転換用だったとのことで、何とも珍しい?用途ですね。急行「砂丘」の現役時代、この転車台付近で何度も藪漕ぎをして写真を撮影した記憶がありますが、当時はこのようなものが埋まっているとは全く気が付きませんでした。とは言え、貴重な産業文化遺産だと思いますので、いつまでも残して欲しいものです。



5月23日今日は久し振りに因美線に乗ってきました。相変わらず空席が目立ち、寂しいばかりですが、窓から眺める景色は新緑が目に沁みます。外を見ながら列車に揺られていると睡魔が襲い、途中で2駅に停車したことも記憶にない状況でした。なぜ列車に揺られると眠くなるのだろうとネットで調べてみると、あちこちで研究されているんですね。眠りやすい周波数であるとか、心拍数よりも遅い振動がリラックスできるとか、1/fゆらぎであるとか、左右のレールの高さの差のためとか、いろいろ研究されているんですね。また、普通に走っているときと、必殺徐行区間との比較では、必殺徐行区間を走っているときの方が良く眠れる感じです。あのローリングのような揺れには耐えがたい眠気を感じるのは管理人だけでしょうか。いずれにしても、列車に揺られて寝るというのは、ある意味至福の時間ですね。(知和〜美作河井間の「松ぼうき鉄橋」上を走る車内から)



5月17日今日は歴史の話題を。津山藩は森忠政(本能寺の変にて織田信長に殉死した森蘭丸の弟)が立藩、津山城も築城したのは有名ですが、森氏は4代で改易され、その後の津山を治めたのは、徳川家康の次男である結城秀康を祖とする御家門筆頭の越前松平家の分家だということは意外に知られていません。津山松平家は9代に渡り廃藩置県までの間、津山を治めました。この間、藩財政の立て直しとともに学問の奨励をすすめ、津山藩は幕末には蘭学者宇田川玄随や箕作阮甫(ペリー来航時の通訳)など優れた洋学者を輩出しています。皆さんお好きな?「珈琲」(コーヒー)の字も津山から生まれたものです。話は戻りますが、この松平家の家柄を誇りに思う津山人は結構多いのです、というお国自慢でした。(今日の一枚は桜の時期、津山城本丸から津山駅方面を望む)



5月16日今日の津山は薄曇りの天気。暑くもなく寒くもなく過ごしやすい一日でした。ひょいといつもの場所で1枚。このキハ120形(300番台)は、1993年にデビューして既に23年目。国鉄型の車両と比べると重厚さもなく、ペラペラした感じで撮影意欲を失うという声もよく聞かれるのですが、津山地区ではキハ40系列の車両か、このキハ120しか走らない訳で、特に因美線や姫新線の津山〜上月間では他の選択肢が無い訳です。とは言っても、しょっちゅう見ていると中々味のある車両だなぁと思うのは管理人だけでしょうか。少なくとも、この塗色は関西線や高山線の同形よりは良いと思うのですが・・・(関西線・高山線ファンの皆さまごめんなさい)。 (美作追分〜坪井)



5月15日子供の部活送迎の間に、夜の高野駅に行ってきました。この駅は元々行き違い可能な駅でしたが、急行「砂丘」の廃止とともに棒線化され、合わせて無人化されました。急行「砂丘」の走っていたころは、腕木式信号機にタブレット授受など、常に人の存在が感じられましたが、現在では煌々と灯る蛍光灯の光だけが駅であることを主張しているようです。

駅舎を撮影して撤収しようとしたところ、快速列車が通過して行きました。試しにズームレンズで広角にさせながら撮影してみたのですが、やっぱり出来上がりは素人の失敗写真ですね。



5月10日今日は「みまさかスローサイフ列車」の二日目。S字こう配を登坂してくる列車をパチリ。この列車、往路はド逆光の中を進んでくるので撮影場所には気を使います。この場所、太陽の位置は頭の上。後方の工業団地を処理できれば良い場所だと思います。普段、因美線を走らないキハ40系列の車両を撮影できるのも、この列車の良いところですね。次のスローライフ列車は11月でしょうか。紅葉の中を走る列車も良いものです。(高野〜美作滝尾)



5月9日                                                      今日は「みまさかスローライフ列車」運行の日。少し追っ掛けをしました。子供の部活が終了してからの追っ掛け。高野〜美作滝尾間の必殺徐行区間で追い付き(追い越し)ました。ヘッドマークが少しイメチェンしていました。

この写真で少し苦言を。第4種踏切の手前で3人ほどで撮影していると長い警笛。車が近づいていたので危険を避ける意味であるのは分かるのですが、10秒近く鳴らしっぱなし。これは警笛ではなく、威嚇だと思います。少し気分を害しました。(美作滝尾〜三浦)

近づいてきたところを、もう1枚。線路を歩いているのは誰?

ん? よく見ると、タブレットでタブレットを表示。シャレですね。こういう余興はありがたいと思います。(美作加茂)

間もなく知和駅。必殺徐行区間に備えて減速中。(美作加茂〜知和)

美作河井に向けて25‰を登坂中。むかし、ここで急行砂丘をよく撮りました。本日は時間の都合で、ここで撤収しました。明日も「みまさかスローライフ列車」は走ります。どうぞ津山市、そして因美線へお出掛けください。(知和〜美作河井)



5月6日部活送迎の帰りに津山駅南を回ってみました。ちょうど新見発津山行きの列車が到着したところでした。この列車は「折り返し」岡山行きの快速列車となります。それにしても津山駅の長いホームの隅に停車するのは勿体無く感じますね。

帰り道に少し寄り道して津山行きの列車をパチリ。あれ?行き先が「中国勝山」に。(美作千代〜院庄)



5月5日今日は子供の日。と言っても特別なことをする訳ではなく、管理人は相変わらず子供の部活送迎。合間に雲一つ無い晴天のもとを走る津山行きをパチリ。晴天と書いていながら空が写っておらずすいません。(美作追分〜坪井)



5月4日東津山駅に進入してくる因美線の津山行き。この駅は昭和3年に建てられた駅舎が現役で使われている貴重な駅なのですが、津山市街にあること、かつ大きく改装されているので、写真を撮りにくる方は少ないのではないでしょうか。長椅子に座ってじっとしていると時の長さを感じることができます。ところでこの駅、ある有名人の実家が近くにありますが、ご存じでしょうか。そうです、ロックバンド「B’z」のボーカリスト稲葉さんの出身地なのです。稲葉さんは津山東中、津山高を経て上京(横浜)されていったんですね。ご実家も公開されていますので、興味のある方はどうぞ。



5月3日どんよりとした空のもと、朝早く津山駅の南西にたたずむ神南備山(かんなびさん)展望台に行ってみました。津山城址(鶴山公園)方面を望むと、中央を東西に流れる吉井川。そして足元を岡山行きの列車が進みます(※車内から津山城跡は殆ど見えません)。高所から見る津山市街は、なんかごちゃごちゃしているように見えますが、これは江戸時代から昭和までの家々が残っているためです。津山は戦災を受けなかったため、城下町を守るため小路が複雑に入り組み、そこに明治以降新たな建物が建設されたためです。とは言っても再開発も進んでおり、津山城跡の手前にある複合商業施設「アルネ津山」も巨大な姿を見せています。江戸〜昭和までの町並みを自転車を借りて回遊して見れるのも津山の魅力だと思います。(津山〜津山口)


5月2日ゴールデンウィークも後半に入りました。皆さんは何処かへお出掛けなされているのでしょうか。管理人は子供の部活の送迎で津山市内へ行ったり帰って来たりの繰り返しですが、そんな合間に遠回りして一枚。いつもの週末よりは乗客が多いようで少し安心ですが、この時期なら二連で走るほど乗客がいても良いのではないかと考えてしまうのですが・・・。それはそれとして、来週は「みまさかスローライフ列車」が新緑の因美線を走りますよ。多くの方に新緑の美作路を訪れて欲しいと思います。詳細はこちら。(美作追分〜坪井)